BRIEFING.335(2014.05.29)

不動産鑑定評価は市場の先導者たるべきか(2)

国交省が公表した「中古戸建て住宅に係る建物評価の改善に向けた指針」は、原価法の精緻化、内外装・設備の評価、インスペクションといった、これまで以上に手間をかけることを求めている。

重んじられることは論を待たない。分からぬが故の保守的評価は精緻化で改善されよう。

だが、評価が一定の方向を指向する先導者であってよいのか。評価は市場参加者の目線でなされるべきで、費用をかけて内装・設備を施したからその分「評価」すべきいう理屈であってはならない。金をかければ価値が上がるというものではないことは「かんぽの宿」「私のしごと館」の例を引くまでもない(BRIEFING.196308参照)。

確かに原価法の性格上、かかった費用、すなち原価に着目することが基本だ。しかし、現に市場が改修された中古戸建て住宅をどう評価しているかを見極めなければなるまい。

まだまだ耐用年数があるはずの中古住宅が、売買後、あっさり取り壊されてしまうという例は多い。また、更地化してからの引渡しを条件とする買主も多い。古家に対する売主の自己評価と、他人(市場)の評価とのギャップは大きい。

さて前回、この指針が「あるべき価格」説への回帰ではないかとの指摘をしたが、今の不動産鑑定評価基準には「あるべき価格」説を示唆する部分がいくつか見受けられる。

不動産鑑定士等の責務として「土地は、土地基本法に定める土地についての基本理念に即して利用及び取引が行われるべきであり、特に投機的取引の対象とされてはならないものである。不動産鑑定士等はこのような認識に立って不動産の鑑定評価を・・・」とあるのは「あるべき価格」説そのものと言ってもよい。

また収益還元法を「市場における土地の取引価格の上昇が著しいときは、先走りがちな取引価格に対する有力な検証手段」として活用すべきとしている点もそれらしい。

いささか古めかしいバブル時代の空気を反映したもので、今では逆に収益価格が(楽観的な収益見通しと低位な還元利回りにより)高位に求められる場合も珍しくない。

不動産の鑑定評価が「合理的な市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格を、鑑定評価の主体が適格に把握することを中心とする作業」だと言っている部分も「あるべき価格」説の反映だとする向きもある。

求めるべきは「あるべき価格」か「ある価格」(または「あるがままの価格」)か。ザイン(Sein、実態)かゾルレン(Sollen、理想)か。綱引きの決着は、平成14年の改正では終わっていないような気がする。


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