BRIEFING.459(2018.02.16)

不動産鑑定評価における大局観

永世七冠を獲得した将棋の羽生竜王は、テレビ番組のインタビューに応じ、手を読む能力が若い時より落ちてきたことに対し「100手読んで正しい手を選ぶよりも、10手とか5手とか、その短い手数で正しい手を選ぶ」という方向へ変化してきたと語っている。年齢と共に大局観を磨いてきたという訳だ。

一方、2度の七冠を達成した囲碁の井山本因坊も同番組において、「打ちたい所に打ちなさい」という師匠の言葉を胸に刻んで今の独創的スタイルを身につけたと語っている。これも大局観を磨くのと同旨ではないだろうか。

大局観が必要なのは不動産鑑定評価でも同じだろう。それは精緻化と相反するようでもあるが、不確実なものを一つ一つ精緻に積み重ねても結果が妥当か否か疑わしい。磨かれた大局観の方に信頼が置ける場合も多いと考えられるからである。

たとえば収益還元法は「・・・それぞれの項目の細部について過去の推移及び将来の動向を慎重に分析して、対象不動産の純収益を適切に求めるべき」もので、特にDCF法については「毎期の純収益及び復帰価格並びにその発生時期が明示されることから、純収益の見通しについては十分な調査を行うことが必要」とされている。

しかしそんなことが可能だろうか。読み切れない不確実な100手先より、確実に読んだ10手先プラス大局観の方が信頼し得るものと思料する。

取引事例比較法にしても同様だ。細分化した価格形成要因を比較し積み上げた結果が、大局観によるザックリした比較に勝るとは限らない。原価法でも開発法でも同様だ。

実務上も(鑑定評価書には記載されないものの)積み上げて得た試算価格を、大局観による判断と付き合わせて検証し、修正することも多い。現実にはすでに大局観を取り入れているのだ。大局観から得た結果を、鑑定評価の各手法で後から根拠付けすると言ってもよいぐらいだ。

大局観重視を積極的に容認するもう一つの理由として、現実の売買市場が大局観に支えられていると考えられる点が上げられる。そしてその市場に成り代わるのが鑑定評価の役目なのである。

収益用不動産の取得に先立ち、将来の純収益、金利水準、政治経済の動向等を詳細に予測したところで不確実性からは逃れられない。したがって、導き出される価格も脆弱な基礎に頼ったものと言わざるを得ず、最終的に買う価格、売る価格は、相手方との協議を踏まえた上で大局観により決定されることになろう。

近年は大局観にも似た知恵を得たAI(人口知能)が発達し、不動産鑑定評価の仕事もこれに取って代わられるとの懸念がある。不動産鑑定評価に携わる者としては心配である。

その点、井山本因坊は、AIの登場について「ちょっと面白くなってきた」と語っている。凡人なら、困ったものだと言ってしまいそうだが・・・。羽生名人も「AIの発想やアイデアを人間が取り入れていく時代」だと言う。

不動産鑑定評価も彼らの姿勢に習い、AIの登場を鑑定評価の新たな夜明けとしたい。


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