BRIEFING.88(2005.5.19) 

地名における右と左

かつて合併により、西東京市、東大阪市などが誕生した。これらは東京都中心部の西方、大阪市の東隣、ということから名付けられたものであろう。あるいは東京都のうちの西寄り、大阪府のうちの東寄り、という意味かも知れない。歴史や風土が感じられない点で面白味に欠けるものの、その地理的位置を単純明快に表現している。

2006年3月には北名古屋市も誕生予定であるが、これもその類であろう。

これらは、目標となる場所から東西南北のどの方向にあるか、またはその場所の中で東西南北のどちら寄りに位置しているかで表現するものである。

では、昔の備前・備中・備後、越前・越後・越中、筑前・筑後などはどうか。目標となる場所のうち、どちら寄りかという表現であるが、東西南北ではなく、前中後で表現されている点でやや解りにくい。これらは、京都から見て手前か後ろかということである。

京都の上京区・中京区・下京区も京都の中心から見ての判断であろう。
大阪の平野町と内平野町、淡路町と内淡路町などは大阪城から見てであろう。

これらの表現では、目標となる場所に加え、どこから見るかを知っていなければならない。

では、京都の左京区・右京区となるとどうか。京都の中心・京都御所あたりを中心とすることは想像が付くが、どちらを見て左か右かという判断に迷う。

正解は京都御所から南(朱雀大路)を見てということである。右近の橘・左近の桜、右大臣・左大臣と同様である。

目標となる場所、どこから見るかに加え、どちらを向くかをも知っている必要がある。

ちなみに、京都五山の送り火のひとつ、左大文字と、左も右も付かない大文字(右大文字といってもよい)との位置関係は、左京・右京とは逆になる。

おそらくこの場合は、都の人々が五山の送り火(鳥居型、左大文字、舟形、妙法、大文字)を見るために北を向いて左右を判断したためであろう。

平成の大合併においては、首を傾げたくなる市名の誕生したが、右○○市や左○○市は見あたらないようである。

なお、大阪府交野市森には、左ヶ谷、右ヶ谷という地名が存在するそうだがどこからどちらを見て判断したのだろうか。


BRIEFING目次へ戻る