BRIEFING.575(2022.05.27)

価格形成要因比較における「ばらばら容認派」と「無理矢理収束派」

不動産の価格を求める鑑定評価の手法には、原価法、収益還元法、取引事例比較法等がある。このうちの取引事例比較法は「まず多数の取引事例を収集して適切な事例の選択を行い、これらに係る取引価格に必要に応じて事情補正及び時点修正を行い、かつ、地域要因の比較及び個別的要因の比較を行って求められた価格を比較考量し、これによって対象不動産の試算価格(比準価格)を求める手法」である。

この手法で「求められた価格」がうまく収束すれば「比較考量」するまでもない。その収束した価格を比準価格として決定してよいだろう。しかし現実は収束しない場合の方が普通である。

そのような場合、各事例の取引事情の内容、個別的要因や地域要因を再検討し、収束を試みることになる。勿論この場合、意図的に無理矢理収束するよう見直すことは許されない。かといって「求められた価格」がばらばらのままでは「比較考量」のしようもない。

ある程度のばらつきは仕方ないとして、その容認できる程度は、評価の主体となる不動産鑑定士の考え方(あるいは性格、気性といってよいかも知れない)によって大差がある。

大胆にも大きくばらついた「求められた価格」を並べて「比較考量」する者、収束しない事例を排除し、できるだけ(恣意的とは言わないが)「求められた価格」間の格差を縮小した上で「比較考量」する者、とがいるのである。前者を「ばらばら容認派」、後者を「無理矢理収束派」と呼ぶこととする。勿論その中間派もいる。

両派の言い分はそれぞれ次の通り。

●ばらばら容認派
 元々市場はこんなもの。全ての取引には程度の差はあれ「特殊な事情」があるはず。
 それを認めた上で、その大きな幅の中から適切な価格を見いだす。
 結論が人によって相当異なるのは仕方のないこと。

●無理矢理収束派  本来は収束すべきもの。大きくばらつく事例は排除すべき。
 その上で、自分の中の許せる範囲で格差の縮小を図るべき。
 狭まった幅の中からなら、適切な価格を見いだすことができる。

基本的な相違点は「元々こんなもの」か「収束すべきもの」かにありそうだ。他派に対する悪口は次の通り(注:極端な場合を推定したに過ぎず実際の発言ではありません)。

●ばらばら容認派から無理矢理収束派へ  収束を前提にするから悪魔に導かれるように価格要因比較を行ってしまうのだ。
 さらには分かりもしない事情補正にまで手を染める。それは神の領域だろう。

●無理矢理収束派からばらばら容認派へ  単純作業の結果を並べているだけなら誰でもできる。それでもプロか。
 ばらばらの数字をどうやって1つにまとめるのか。それこそ神の領域だ。

両派ご立腹のことと拝察致します。


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